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ゲシュタルトの祈り

ここにはフレデリック・パールズというゲシュタルト療法の創始者のことば「ゲシュタルトの祈り」と題されたものについて少し書きたいと思う。この言葉も手帳にはさんでから何年にもなる。
ゲシュタルトとは四国の銘菓、一六タルトのようなお菓子ではなく、ドイツ語で「かたち」とか「全体性」とか「まとまった全体」のような意味らしく、「意味のあるまとまったひとつの全体像」というように表現しているものがあったが、個人的には解りいい感じがする。またその全体は「全体とは部分の単純な総和以上のものである」などとも言われるのだそうですが、僕にはすぐにわからなくなって、一六タルトの渦巻きがハテナの形に見えて頭の中を埋める。

それで早速「ゲシュタルトの祈り」と題されたものを書きたいところなのですが、ところが訳がいろいろとある。先のものでは國分康孝先生が訳していらっしゃるし、自分自身がすっきりくるような言葉に訳している人もいるし。ところが、その訳の違いによって微妙に意味が違ってくるようで、その違っている「そのところの言葉」に胸打たれたなどと、ネットを見るといろいろと出てくるわけです。というわけで、胸打たれないように橋田壽賀子テレビドラマ調にしてみました。※

「ゲシュタルトの祈り」
わてはわてのために、あんたはんもあんたはんのために生きてます。
わてはなんもあんたはんの期待どおりに生きるためにいるわけやおまへん。
あんたはんやて、わての期待どおりに生きるためにいるわけやおまへんやろ。
わてはわて。あんたはんはあんたはん。
ほんで、出会うことがおましたら結構なことでございます。
そうあらへんでも、それもまたようございます。

題の「ゲシュタルト」とはこの場合いったい何を差すのだろうか。単に「ゲシュタルト療法としての」という意味には思えない。この場合の意味のあるまとまったひとつの全体像とは何だろうか。そして何を「祈る」のだろうか。人それぞれが自分自身のために生きることを祈っているのだろうか。この言葉を手帳に挟んだときに確かにそのことを考えた。このタイトルは何を意味しているのだろうかと。そして、そのままになって忘れ去られていた。
パールズはワークの時に好んでこの言葉を使ったということらしいので、何かゲシュタルト療法の神髄に触れる意味があるのだろうか。謎解きのヒントを残したような言葉に思えてしまう。

ところで、ゲシュタルトの箱を開けば必ず出てくるのが「ルビンの杯」という絵。杯が真ん中にひとつある、と思いきや、その杯を挟んで「ふたり」が向かい合っているではないですか、というあの絵。地と図を説明するのに使われている有名なもの。意識にあがったものが図となりそうでないものが地となって云々・・・、と説明される。
僕は今わざわざ「ふたり」にカッコをつけた。僕が勝手に見解するには、これは「ふたり」ではなくて「あなたと私」なのだと思う。あなたはあなた、私は私として存在しているようでいて、実は切り離すことはできない。あなたと私は、気づいていようがいまいが繋がっている。そしてあなたと私が作り出しているものは杯。これは勝利のシンボルであったり愛のシンボル※であったり(するんじゃないかなぁ・・・)。

そういうことをふまえてもう一度「ゲシュタルトの祈り」を振り返ってはどうだろうか。
あなたがあなたとしてそこにいて、私が私としてそこにいる。自分自身の人生を生きるためにそこにいることは、とりもなおさず二人で杯を作ること。そんな関係が人と人の間に生まれたらそれはとても素敵なことではないだろうか。いろんなかたちの杯ができるだろうし、作らないことも含めて作ることともいえる。

パールズご夫妻特製のゲシュタルトは、噛めば噛むほどに味わい深いが、僕には消化するのに時間がまだまだかかる。謎解きは続く。

※本当はこんな感じ
「ゲシュタルトの祈り」
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけではない。
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけではない。
私は私。あなたはあなた。
私たちがたまたま出会うことがあれば、それは素敵なことだ。
そうでなくても、それもまたいい。
Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen -
und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
ICH BIN ich und DU BIST du -
und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,
wenn nicht, dann ist auch das gut so.
(原文っぽいのが出ていたので拾ってみた。原文かどうか知らない)
※タロットでは杯は愛のシンボルでもあったように思う。それは、杯つまりそれに入る水は、相手の心の、その心のかたちに合わせて心を満たすから、というようなことを読んだような気もするが。さだかではない。

Vol5.我が心のタコ社長へ