言葉にした大切なものたち
自然と老いてゆくのはいい
僕は40,2,3頃からどうもものが見えにくくなった。
それがわかったのは、夜布団に入ってうつぶせになったまま、よく本を読んでいたのだが、
あごの下にした両手をだんだんと、というか自然と上げてゆかなければならなくなって、
その時は全く何とも思っていなかったのだけれど、それから、1年もたってから、
「これが老眼なんだ・・・」と思ったのでした。
自然と老いてゆくのは、いい。
誰もいない海
誰もいない海
五十も過ぎて改めて聞くと、自然と解釈が違ってくる。
今はもう秋・・・
晩年をもうすぐに迎えた年になった
誰もいない海・・・
つき合いのある人たちも疎遠になったり亡くなったり
知らん顔して人が行き過ぎても・・・
現役をリタイアし世代が代わり、周りの人もかわってしまった
私は忘れない砂に約束したから・・・
こんなふうに知古がいなくなっても、私は心に誓った
辛くても辛くても死にはしないと・・・
生を全うするのが人としての在り方だと思う
修行
修行時代を過ごすということは、
人生は修行なのだということを学ぶ時間
赤い人の言葉
30代のころ、ネイティブアメリカン(というか、ネイティブというか、僕としては赤い人というのがしっくりくるのだけれど)の逸話や諫言やことわざなどを好んで読んでいたことがあった。その頃の僕にはとても心に響いて、大切なことをたくさん教えてもらったように思う。
その中で、僕がよく思い出すのは
大きな火は近くに寄れないから寒いが、
小さな火は近くに寄れて暖かい。
言葉尻はともかくとして、そんな意味だった。
そんなふうな小さな火はいいと思う。心にも体にも。