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てんでん桜 2011年東日本大震災に寄せて

昨年3月9日に中米に発った。
アトランタでトランジットのため一泊、そしてニカラグアの首都マナグア行きに乗り換えた。
ニカラグアに着いた次の日の朝だった。
「おーい、日本で大地震だ!」
二階のフラットに、下から大家のじいさんがテレビを見に来るように叫んでいた。
時差ぼけの体で下に行ってみると、大家のドン・フランと住人の女の子がCNNに見入っていた。スペイン語で「緊急」という文字が画面の右下で真っ赤に点滅していたのだけをよく覚えている。映像は惨状を伝えていたと思うが、そのときの映像はなぜか覚えていない。
ものすごいことになってしまったとただただ呆然とした。
後日インターネットで見た、石油コンビナートがめらめらと炎をあげて燃えている映像。
あまりにも現実離れしていた。不謹慎なことではあるのだろうと思うけれど、頭の中では、そこにウルトラマンと怪獣が登場してしまう自分がいた。それほどに現実離れした、信じがたい映像だった。
ウルトラマンの世界ならよかった。石油コンビナートであろうと都会であろうと、子供ながらに本当は人はいない作り物の世界だということを知っていたから。ウルトラマンと怪獣が思う存分暴れることができた。
日々笑ったり泣いたり昼飯に何を食おうかと考えたりして生きている人々が住んでいる。
大学の友達のあいつはたしか久慈市にいるはずだが・・・。
かみさんのあの友だちが宮城県にいたと思うが・・・。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

で始まる『方丈記』、鴨長明は美しく含蓄深いこの冒頭の文章で始めて、そのあとに大火があったこと、台風、飢饉のこと、大地震のことなど自然災害があったことを延々と列ね、それから方丈庵での生活・想いを記している。
地震のところでは、元暦2年(1185)にあった大地震のことを書いている。2012年ー1185年=827年前のこと。もちろん僕らは生きてはいなかった。その地震について書いたところのシメに次のように書いている。

昔、斉衡(さいかう)のころとか、大地震ふりて、東大寺の仏のみくし落ちなど、いみじきことどもはべりけれど、なほこのたびにはしかずとぞ。すなはちは、人皆あぢきなきことを述べて、いささか心の濁りも薄らぐと見えしかど、月日重なり、年経にしのちは、言葉にかけて言ひ出づる人だになし。 

ざくっと訳すと
昔、齊衡の時代のころだそうだが、大地震が起きて東大寺の大仏の首が落ちたりするなど凄いこともあったったが、それでも今回の大地震ほどではないらしい。地震の直後には誰もがこの世の無意味さ(無常であること)をいったりして、ちょっとは邪心もなくなり心もきれいになったように見えたけれども、月日を重ね、年月を経てしまったら、そんなことを口に出して言う人さえいなくなった。

人ひとりがその一生を生きてゆくという短い間でさえも、忘れるということがなければ苦しすぎて生きてゆけないのだろう。
世代を替えるということは、ひとつの肉体として何百年も生きるのは無理がある、その代替え策として生物たちは世代交代ということを考えた、・・・そういう生物学者がいた。

日本の国歌がはっきりと決まるまで僕は『日本の国歌を「さくらさくら」にしよう』運動をしていた。僕ひとりでやっていた。桜はいいと思う。一応歌詞をあげておくと、

さくらさくら
野山も里も 見わたすかぎり 
霞か雲か 朝日ににおう
さくらさくら 花ざかり

または

さくらさくら
やよいの空は 見わたすかぎり
霞か雲か においぞいずる
いざやいざや 見にゆかん

下の方が古い。僕は上の方になじんでいるが「いざや見にゆかん」さあ花見にゆこうといっているのだからなんだかのんきで、国歌の中に「花見にゆこう」などと歌っているのは、なかなかいいじゃありませんか。
どちらにしても、シンボリックにさくらが咲き誇る日本の里山の美しい風景を思い起こさせる。本当に大切にしなければならないものはそれほど多くはないように思うが、大切にしなければならないものの一つが歌い込まれていると思う。そしてその美しい自然を愛おしく思う心を持ち続けたい。

津波が押し寄せた線に沿って桜を植え始めている。そこまで津波が来たのだと後世にしっかりと警鐘を鳴らし続けるためだとのこと。
時が経てば美しく桜も咲き、人が通い花見の宴もあるだろう。そして3月11日を語り継いでゆくだろうと思う。
あえて、あえて、あえて言えば、それでも人は忘れるのだろうと思う。
しかし、そういうことなのだろうと思う。

こうして今桜を植えることがすべてなのだと思う。それでいいのだと思う。
僕は、この桜に「つなみ桜」と名付けた。

(3月23日追記)
つなみ桜 改メ てんでん桜
今日ラジオで聞いたには、三陸の方には古くから「津波てんでんこ」という言葉があるのだそうだ。津波が来たら、親や子どもを捜したりせずに、てんでんばらばらででもとにかく避難しなさい、という意味なのだそうだ。僕の田舎では「てんでんこ」という使い方はしなかったけれども、よく伝わっていいと思う。
つなみ桜でもいいけれども、「てんでん桜」に改めた。「津波てんでんこ」も伝わりますように。