「スペイン洗礼」 (2001.11)

(これは「建設実務」という雑誌にフォトエッセーとして連載したものを、ホームページ用に書き直したものです。)

 その冬の夜、僕はスペインのマドリッド行きの夜行列車に乗っていました。六人用のコンパートメントには僕の他に乗客はなく、真っ暗な中ひとり夜のしじまにまどろんでゆきました。
 夜中にふと目が覚めました。夜行列車独特ののんびりした揺れは続いていて、フランスから国境を越えて、スペインに入ったようでした。仰向けに寝たまま、上の棚のザックにふと目をやると、そこにあるはずのザックが、棚の向こうのはずれまで移動しています。おや、と思いザックを見てみると、鍵をかけていなかったポケットが開けられていました。泥棒。ザックがあまりに重かったので持ってゆかなかったのでしょうか。それからは不安と恐ろしさで眠ることができませんでした。あるはずもないのですが、野球のバットはないものかと、きょろきょろとあたりを見回していました。
 それから二時間ほどもたった頃でしょうか。コンパートメントのドアが音もなく開き、通路の蛍光灯が漏れてきました。シルエットの男は音をたてず静かに、迷うことなく棚のザックに近づいてきました。僕は首筋から頬、そしてこめかみまでひきつるのがわかりました。男は背伸びをして棚の上の僕のザックに手を伸ばしました。僕はひきつりながらも「あー!」だか「わー!」だかムンクの『叫び』よろしくとにかく叫んでいました。驚いたのは彼で、どこかに頭をぶつけながら、なぜだか「ウォーター、ウォーター」とわめいて逃げて行きました。
 それが僕のスペイン巡礼ならぬスペイン洗礼でした。
 何年たっても、思い出すとぞっとするのですが、そのあとからも行く先々の国で僕はさまざまな「洗礼」を受けることになったのでした。そのときはまだ知らずにのほほんとしていましたが・・・。ひとり旅は好きですが、物騒な洗礼はちょっとおことわりですね。

カセドラル
カセドラル

闘牛
闘牛



マドリッドでは美術館に行ってはサングリアを飲み、教会に行ってはサングリアを飲み、ときには闘牛を見てはサングリアを飲んで過ごしました。
 教会はどこも人の心を圧倒するような荘厳な造りで、内部はステンドグラスを透かした光が漂い、その光の中にたたずむキリストは、どこか哀しみをおびているように見えました。
 闘牛は、個人的にはあまり好きではありませんが、闘牛士のしなやかな体が美しく、猛々しい大きな牛が催眠術にかかったように、赤い布しか見えなくなってゆくのが不思議でした。