チームタカクラ 石巻足湯・カフェ

2013/7 認定カウンセラー会 コミュニティ部会 報告資料

チームタカクラの石巻での足湯・カフェ活動の報告(※1)

〜危機支援からコミュニティサポートへの移行の観点から〜

コミュニティ部会 須 藤 尚 俊(※2)

 私たちがおこなっている石巻での足湯・カフェボランティア活動は、震災の年の9月からですので、もうすぐ二年になります。慌ただしく一年目が過ぎ二年目もあっという間でした。何人に足湯をしたとか、どのくらいその場に来てお茶やコーヒーを飲んでいってくれたとかのデータもありますが、この報告ではそうしたことよりも、どのように関わってきたかを中心に報告したいと思います。これまでは危機支援としての観点からのアプローチでしたが、今後はコミュニティへのアプローチがさらに重要になってくるように思えます。そうしたことをふまえ、今までの活動を報告するとともに、コミュニティへのアプローチを考えてゆく参考になればと思っています。
 また、この報告はこの活動においての私自身の来し方を振り返り、そして、行く先を改めて見定める意味合いも多分にあるように思われます。そういう意味でも、諸先輩方のご鞭撻を頂戴できればたいへん幸いに存じます。
 尚、認定カウンセラー会に援助をいただいていること、その源になる皆さまお一人おひとりに深く感謝申し上げます。

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 この活動の提唱者で中心になってやってきた高倉恵子さん(※4)は、最初はキャンピングカーに、炊事道具やシュラフやら、キャンプ道具一式と足湯の道具を詰め込んで「とにかく石巻へ」(※4)という思いだけで、自分たちがそこのどこに行こうとしているのか、どうなってゆくのか想像もつかないままの出発でした。とにかく石巻に行かなければ、という思いに突き動かされての行動でした。石巻に行ってどうしたらいいのか、どうなってゆくのか、全く先が見えないままでの出発だったのです。

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足湯手もみ

 まず、私たちが「足湯」を実際どのようにやっているかを少し書かせていただきます。
 仮設住宅の集会所におじゃまして、ビニールシートを敷き、折りたたみ椅子、足湯用のたらい、ハンドクリーム、タオルなどを準備します。深くかけられる折りたたみ椅子にゆったりとかけていただき、ほどよい温度のお湯に足をつけていただきます。芳香入浴剤も少し入れます。どうしても殺風景な感じがぬぐえない仮設住宅の環境では、これを入れただけでも「いい香りだねえ」などと喜ばれることがよくあります。やる人によって多少の違いが出てきますが、私は、失礼しますねとおことわりをして、お湯につかっていただいているまま土踏まずや足の指などをごく軽くもむことから始めます。
 足をケアした次には、手・指のケアに移ります。左手の小指から一本一本揉みほぐしてゆきます。また、指と指の間の水かきというのでしょうか、そこも揉みほぐします。それから、手のひらを開くようにして手のひらのあちこちのツボを押します。専門家ではありませんからツボの位置が詳しくわかるわけではありません。相手の様子をうかがい、また、「このあたりはどうですか?」と丁寧に聞きながら行います。最後に手の甲から腕にかけて優しくさすりあげてゆきます。時間的には手に触れている時間が一番長いことになります。

足湯

ひととおり終える頃には、足湯の熱がじんわりと全身に廻り、こわばった指の一本一本がほぐれてきます。そんなとき、椅子の上の顔もゆるみ心の中の何かも少しほぐれてきているような、そんなふうに感じられることがよくあります。
 手をもんでいる間、実際顔と顔が近くなりますので、ため息と一緒に出てくるようなささやきやつぶやき、そんな心の底によどんでいたような小さな声も私たちに響いてきます。そうした吐露に静かにしっかり寄り添うとき、被災した方々の問わず語りが出始めることが多いようです。そして、語られる言葉の一つひとつに、肩を並べて芝生に腰を下ろすように心を寄り添わせてゆきます。
 最近は、最後に肩をもませていただくようになりました。全くの私事になりますが、ご年配の方の細い肩に手をかけながら、お母さんにもっと親孝行してやりたかったなあと、母が思い出されてしまうことがあります。親不孝の償いをしているような気持ちになっている自分がいたりします。

テーブルには少しばかりですが茶菓子を出しておきます。日本茶かレギュラーコーヒーの希望を聞いて飲み物を出します。年配の方が多いのですが、コーヒーを頼まれる方が案外と多いものです。足湯を待つ間、また、終わってゆっくりしながら皆さん方でお茶とお菓子で世間話を楽しんでゆきます。住んでいた地域が違っていても、そこは同じ石巻の人たちで、話始めれば話題はつきなく、お話の時間を楽しみにいらっしゃる方もたくさんいて、人によっては月一回の大切なコミュニケーションの場になっているようです。そういう意味では、実際にコミュニティサポートとしての役割を担ってきた面もあるようです。

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足湯ケアをしている須藤尚俊

「なぜカウンセラーが足湯なのか」「カウンセラーが足湯でもあるまい」という声がこの認定カウンセラー会の中からも聞こえます。カウンセラーですから、カウンセリングを本道として、それ一本でやるというのはすばらしいことだと思いますし、本来そうあるべきなのかもしれません。
 私の技量がもっとあれば問題はないのかもしれませんが、こうした環境での継続的なカウンセリングというのは、こちら側の制約も厳しいものがあり、被災した方々にしても敷居がとても高く感じられるのではないでしょうか。
 私たちチームタカクラは、被災した方々に寄り添うために足湯をすることを選び、足湯を入り口にして心を聴き心に寄り添うということをしてきました。そうして一人ひとりの精神的自立をめざし支援してきました。傾聴に重きを置いた個々を大切にする関わりに心がけ、アセスメントをチームとして共有しながらの関わりを、次にお会いしたときに生かしながら継続してきました。
 たかが足湯と思われるかもしれませんが、ここで継続してきた結果として生まれたコミュニケーションは、確かなものになってきているという実感があります。
 また、被災者に限ったことではないと思いますが、カウンセリングが必要であろう方々の中には、はなから受けつけようとしない方がたくさんいるのではないでしょうか。仮設住宅では、とても強くそう感じられてしまいます。私たちの足湯活動は、多少なりともそうした方々を丁寧に掘り起こすことにも役立っているように思えます。

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 足湯をしながら、被災した方々それぞれの物語が聞くともなくよく語られますが、その体験は人それぞれに重いものです。
 ある女性は「私は娘を一人家ごと流されたけれど、小さい子をふたりも三人も流された人もいるから、私はまあよかった方だと、我慢しなければならないと思うよ・・・」ということをいってらっしゃいました。70代とお見受けしましたので、娘さんは40代くらいだったのでしょうか。自分よりも大事だろう娘さんを流されて、それでも「これでもまだよかったほうだから・・・」と自分自身を納得させようとしていらっしゃるのを、私はただ胸を痛めながら聴くしかありませんでした。
 あるひとり暮らしのおばあさんは新しく建つ復興住宅に当たりましたが、それを素直に喜べないでいました。同じ仮設住宅には当たらなかった人もいます。それに、知人のほとんどいない仮設住宅でやっとささやかな人間関係を築いたのに、復興住宅でまた一から作り直しです。年老いてからの新しい人間関係作りは大変です。そうしている間にも、だんだんと体が不自由になってゆくだろうことを思うと不安が募るようでした。
 卒寿を越したあるおじいさんは、こんなことを話してくれました。「みんなここでの生活が大変だ大変だっていうけど、おれはシベリアに何年もいできたがら、ここは何でもない。そんなこと誰にも言えんけどな・・・」無口なおじいさんですが、最近は表情も和らぎ、そんなことをもらしてくれるようになりました。
 ある60過ぎの女性の方は、話の折に「私は、だんながまだ見つからないから・・・」ともらしました。一瞬寂しそうにしたものの、あまり表情を変えずに話すようすに、かえって悲しみの深さが感じられるのでした。
 被災したといっても、一人ひとり体験は違いますし、一つひとつ例を挙げればきりがありません。一見境遇が同じように見える仮設住宅の人たちには話せないようなこと、第三者としての私たちにだからこそ話せることもあります。活動を続けてきて、近頃やっと話しだしてくださる方もいらっしゃいます。あれから時間が経った今だからこそ話せる話も出てきます。それに、時を経た今になって出てくる孤独感や悩み、そうしたものを私たちに話してくださることもあります。
 毎月地道に通ってゆくことで、そうした人間関係・コミュニケーションが築かれたわけですが、これは新しい資源であり、これを基にしてさらに共同体感覚を高められるような関わりにしてゆきたいと思うのです。

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 仮設住宅団地は、様々な地域からの寄せ集め的な人間関係、人それぞれに違った被災状況、それに、プライバシーが保たれにくいということなど、人間関係を築きにくい条件がたくさん重なっています。あらぬ噂がたちやすく、それがまた関係を築きにくくし、ということが起りやすいようです。
 このような状況だからこそ、息づいているコミュニティ作り、共同体感覚を持てるようなコミュニティ作りが求められているように思えます。少なくとも、今関わっている仮設住宅団地では、コミュニティへの働きかけ次第ではコミュニティのもつダイナミズムが動き出し、より強い共同体感覚が生まれ、個々人の精神的自立をも促進できるのではないかと思えます。
 活動を始めてから2年が経とうとしている今、個々を支えることと同時に、地域で支え合うことを支えるということも求められているように感じます。このような段階の今だからこそ、チームタカクラとしてコミュニティという視点に重きを置いたサポートが必要なのではないかと思います。

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 南海トラフ巨大地震が遠からず起こると言われているこの頃。今日起こっても不思議ではない巨大地震に、カウンセラーとしての私たちは、いったいいま何をどのように準備しておいたらいいのでしょうか。
 次の大地震を待たずとも、私たちは日々危機にさらされています。たくさんの自死をしてしまう方、自分の本意ではなくとも子どもを虐待してしまうお母さん、不慮の事故に遭ってしまう人・・・。朝家を出かけ、夕方家に帰ってくるのは、決して当たり前のことではないという現実。私たちもそうした危機を潜在的に抱え、それでもなお、カウンセラーとしての生き方を選択しました。
 そうした中で、人は一人では生きてゆけないという当たり前のことを、どのように伝えていったらいいのでしょうか。自分を支えてくれる共同体感覚、あるいは生きる意味を、どのように形成したらいいのでしょうか。カウンセラーとしてどのようにサポートできるのでしょうか。
 石巻に通いながらも、私自身はまだまだ手探り状態です。被災者の方からは教わることばかりです。現場で一人ひとり足湯をさせていただきながらコミュニケーションを重ね、次のステップを探ってゆく、それが私にとっては今できることのようです。
 今までは、おもに危機支援という観点から石巻で足湯とカフェの活動をしてきました。しかし、チームタカクラが関わっている石巻の仮設住宅団地は、目の前の危機を乗り越えるということから、息づいたコミュニティが必要な段階のように見えます。人が人らしくあるために、精神的自立を支援するために、コミュニティを視野においての活動が非常に重要になってきていると感じられるのです。






※ 1)チームタカクラという呼称は今回便宜的に使いました。「石巻班」と用いたりしていますが、ほかの方々が別行 動で石巻で足湯をすることがあってももちろんいいので「石巻」「足湯」を独占している感じは避けたいと思いました。それに、被災地支援活動は、さまざまな内容・方法があって当然だと思いますが、このチームはこのチームなりのやり方でやろうという意味合いでもあります。
 このレポートはチームタカクラの石巻での足湯・カフェ活動の報告ではありますが、高倉さんの了解を得て個人的に書いた活動報告です。また、認定カウンセラー会の補助金に対しての活動報告書ではありません。
※ 2)須藤尚俊(すとうなおとし)フリーのフォトグラファー、エッセイスト
H.P.「人間遺産」は人間遺産で検索  ブログ「壺の中」は壺の中・須藤で検索かH.P.から
※ 3)高倉恵子(たかくらけいこ) 埼玉カウンセリングセンター主宰
H.P. 埼玉カウンセリングセンター で検索 
※ 4)高倉さんは振り返ってこんなふうに話してくれました。石巻は被害が非常に大きかったにもかかわらず、報道が控えめで被災状況がわかりにくかった。実際に行って見て感じることが第一歩だという思いで石巻になった。また、石巻ではボランティアを必要としていながら手が足りないところが多いのでは、・・・そんな直感もあった、と。
☆ 私自身は、3.11当日は仕事で中米ニカラグア共和国に滞在しておりました。宿泊していたところのテレビでCNN緊急速報を見たのが第一報でした。この活動には帰国後の参加になります。
☆ 高倉さんは、この活動はオープンなものなので、興味のある方は問い合わせてほしいし、また、新たに活動を始めたいけれども、その糸口を見つけられないでいたら、できる限りお手伝いをさせていただきたいのでよろしければ声をかけて欲しい、とのこと。
☆ カウンセリングでは、ほとんどの場合相手の身体に触れないので、足湯のように直接身体に触れることに違和感を感じるカウンセラーが少なくないように思います。しかし、臨床動作法などは直接顔や身体に触れますし、必ずしも触れない訳ではありません。また、足湯の本来的な意義として、その人の中にあるその人が本来持っている力に働きかけること、とも言われています。そういう意味では、カウンセリングと足湯は、非常に近似しており、カウンセリングのひとつのあり方として足湯があるとも言えるのではないかと思います。

チームタカクラから

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チームタカクラからのメッセージ

第104回日本カウンセリング学会1

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