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海外ひとり旅の事件簿1

ラホール発、睡眠薬強盗列車

パキスタン中部の都市ラホールから、北部にある古い町であるラワールピンディー行きの列車に乗った。それは、午前にラホールを出発して夜7時頃にラワールピンディーに到着する便だった。ドアのある6人がけのコンパートメントだったから、普通席ではなく、治安のことを考えて、そこそこいい席をとったのだろうと思う。
そのコンパートメントにラホールから乗ったのは、僕とパキスタンの二人連れの青年だった。
僕はウルドゥー語は話せないし、彼らもそれほど英語が話せるわけではなかったから、木綿のしつけ糸ほどの頼りなさでの会話だった。それでも同じ若者であるということと、彼らのおどけたようなジェスチャーもあって、通じないながらも楽しく話していた。

その老人がどこから乗ってきたのか、あるいは乗っていたけど違う車両から来たのか全くわからない。コンパートメントに入ってきて、そこが自分の席として座った。
年長者を敬う習慣もあってなのだろうか、パキスタンの青年たちは社交辞令的になにやら話しかけたが、それは発展することなく、まもなく終わった。もちろん僕にはどんな話だったのか全くわからないが。

老人が中座した。ドアが閉まるとすぐに向かいの二人は肩をすくめるふうだったから老人にはあまり好感を持っていない様子だった。
トイレにでも行ったのだろうと思ったが、それにしてはちょっと遅い感じでもあった。それでも気にもとめずにいた。
老人が戻ってきたときに、大きめのポットを手にしていた。(思い返せば変な話だ)
ポットにはチャイ(ミルクティー)が入っていて、二人の青年にしきりに勧め始めた。どうも、断るのも失礼にあたるような雰囲気で、二人はとりあえず一杯ずつ飲んだ。当然のように僕にも回ってきた。僕もなんだか気が進まなかったが、一杯飲んでコップを返した。
その後も、老人はもっと飲めと二人に勧めた。パキスタンの青年たちは、飲まざる得ないようだったのは覚えている。きっとそういう習慣で、年長者から強く勧められると固辞できないのだろう。僕もお代わりを飲まされたのかどうかはよく覚えていない。

ふと、何かおかしいと思ったときには、老人はいなかった。
全身がひどくだるい。腕も足も、全く身体が動かない。
向かい側に座っている背の高い方の青年は、横になって腕枕で熟睡していた。もうひとりと目が合う。彼の目が言っていた。
「やられたな」
間違いない、睡眠薬を飲まされたのだ。
彼が比較的しっかりしていたからだろう、幸い僕らの荷物は大丈夫だった。彼はまだどうにか身体が動いたので、老人を探してくるというようなことを言って、コンパートメントを出て行った。窓にぶつかるようにして通路を歩いて行った。
彼が出て行ってから、僕はしっかりしろしっかりしろと自分に言い聞かせて、どうにか意識を保っていた。

戻ってきた彼は、コンパートメントのドアを開け、見つからなかったと首を横に振った。

ラワールピンディーに着いたときには、すでに真っ暗だった。秋だった。終点だったから降りられたのかもしれない。どんなふうに列車を降りたのかも、駅舎の様子も全くわからないまま駅舎を出、薄暗い水銀灯の下にバックパックを寝かせ、その上に腰をおろした。
相変わらずもうろうとする意識。たまらない四肢のけだるさ。早く宿を見つけなければと思う焦燥。ゆっくり大きく息をして、とか自分に言い聞かせながらも、ゆっくりしてはいられないと思う自分。

旅をしていて、まっ暗い中を安宿を探して歩くことほど不安なことはない。
どれくらい経った後かはわからない。裸電球がともった薄暗い安宿によたよたと入った。僕が宿帳に名前とパスポートナンバーを書くのを見ている宿の男が盗っ人に見えて仕方がなかった。

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