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魔女の亭主の壺の中には

長い石段の下に立ちついと首をあげて、小学三年の頃かな、母と走りに来たなと思う。走るのが遅かった僕をみていて、これではいけないと思い、それで、裏山の神社の石段を毎朝一緒に走ろうと言い出したのだった。朝早くに起きて、この長い石段を母と駆け上って、神社に手を合わせて、また走って帰ってくる。たぶん、五月だったろう、摺れる空気の気持ちのいい季節に始まった。
 母は一、二ヶ月くらい一緒に走り、その後は僕がひとりで走りに行った。小さな頃は練習すればしただけの効果が出て、あっという間にクラスで一番か二番の早さになった。
 あんなに遅かったのに、と幅の広く何十段も続く神社の前の石段を上りながら思う。ゆっくりと登り切り、そこからさらに右の奥に菩提寺である東正寺と墓地がある。
 朝の空気は凜としていて、木の葉の間からまっすぐに突き抜ける陽の光がシュッシュッと顔を横切って、まぶしく美しかった。ああ、お母さんはこんな季節に死んでいったんだなと思う。

 東正寺の本堂に正座する。ご住職の読経を聞きながら、正面の仏陀像を見、そのまま視線を上に上げると、天女が白い肌着をなびかせ細い目をしてほんの少し口角を緩め天を舞っていた。天空から優しく見守ってもらっているように思えて、肩がすっと少し落ちたように思う。小さい頃からここには何度も来ていながら今まで気がつかなかったなと思う。
 木魚がぽくぽくと乾いた音を立てて響き、読経からは時折母の戒名らしいものが聞こえた。
 開け放たれた隣の間には、歴代の住職の大きな写真が並んで飾られている。こうしてみんなあっちの方へ行ってしまうのだ。あっという間に。
 真新しい卒塔婆を墓の卒塔婆立てにさして、母に手を合わせる。ちゃんとした線香を買いそびれて、コンビニで買った安物の線香が、煙いだけで全く匂いがしなかった。母はよく「ちゃんとしたものを買いなさい」と言っていたから、申し訳ない気持ちになる。
 帰りに、少し遠回りをして本家の墓にも線香を上げた。

 一番古い記憶を文字にして書くには、少し記憶が混乱している。
 たとえば「おみやげ」の記憶ならわりとはっきり覚えている。